40代になってから、ふとした瞬間に思うことがあります。
「このままでいいのか」と。
仕事はある。生活もできている。
それでも、心のどこかでずっと引っかかっている。
そんな思いが、ずっとありました。
今は、後悔もなく、キツさもなく、
精肉屋で働いています。
これは——
「自分で稼げる自分」をどう作ればいいのか。
そう悩みながら、動いてみたときの話です。
過去の記事👇
- 「給料ではなく『稼ぐ力』を求め、45歳でトラックから精肉の世界へ飛び込んだ不屈の再出発記」です。
- 「条件(給料)だけで仕事を探して迷走した45歳が、自分自身の『棚卸し』を通して再出発の軸を見つけるまでの物語」
- 「『家族』や『安定』を言い訳に、不満な現状から逃げ続けていた40代の自分に対する、痛切な自省と決別の記録」
- 「人身事故という最悪の転機をきっかけに、やりたいことが見つからないまま、長年しがみついた『偽りの安定』を捨てて退職を決意した瞬間」
「このままでいいのか」と思っている40代へ
この転職活動を通して、
ひとつだけハッキリしたことがありました。
ボクは「仕事」を探していたんじゃなかった。
「給料」をもらえる場所を探していただけだったんです。
でも、本当に見つけたかったのは——
給料をもらう側ではなく、
“自分で稼げる自分”だったんだと思います。
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「このままトラックドライバーを続けていていいのかな」
40代に入ってから、ずっとどこかにあった違和感です。
安定している。居心地も悪くない。
でも——このまま“運ぶだけ”で終わっていいのか。
その違和感の正体に気づいたのは、
転職活動を始めてからでした。
会社に入る限り、
働き方も、給料も、評価も——
どうしても「選ばれる側」のまま変わりません。
気づけば、
不満を口にすることも増えるでしょう。
だったらいっそ、こう考えるようになりました。
他人に不満を言うより、
自分に腹を立ててたほうがいいんじゃないか。
自分で価値を作って、
自分でそれを届ける側に回ってみたい。
そんなふうに、少しずつ思いはじめました。
なぜ「たい焼き屋」だったのか
いろいろ考えている中で、
ふと「たい焼き屋っていいかもしれない」と思いました。
派手さはありません。
でも、自分の手で作って、自分の手で渡す。
そのシンプルさが、すごくしっくりきました。
焼いて、売って、喜んでもらう。
うまくいかなければ、また焼く。
すべてが、自分の責任で完結する。
焼き台の前で、生地を流し込む。
カチッ、カチッ、と一匹ずつ焼き上がる音。
そのリズムが心地よくて、
少しずつ積み重なっていく感じがありました。
手を動かすほどに、
“稼ぐ力”が身についていくような感覚。
——ああ、これが
「自分で稼ぐ」ということなのかもしれない。
そんなふうに思えました。
さらに、キッチンカーという選択肢も見えてきました。
小さく始められる。
場所も時間も、自分で決められる。
そして、少し先の未来も想像できるようになりました。
- 朝は惣菜としてのたい焼き。
- 昼は小腹を満たすワンハンドの軽食。
そんなふうに、
自分で働き方を組み立てていける。
それが、急に現実味を帯びてきました。
そして——競馬場。
あの独特のざわつきの中で、
焼きたてを手渡す。
馬券を握りしめた人に、
「当たりましたか?」なんて、軽く声をかけながら。
今の競馬場は、家族連れでも楽しめる場所です。
でも子供がいないボクたち夫婦にとっては、少し違います。
大人になりきれないボクたちが、
唯一“欲にまみれて”足を運べる場所。
そんな特別な場所で、
自分の作ったたい焼きを手渡す。
ただ商品を売るだけじゃなく、
誰かのワクワクしている時間に、少し関われる。
そんな関わり方なら、
自分にもできるかもしれない。
そう思えました。
そしてもう一つ。
- ソムリエ時代に身につけた接客。
- ドライバーとして培ってきた体力や現場感覚。
バラバラだと思っていた経験が、
少しずつ、つながっていく感覚がありました。
——もしかしたら、自分にもできるのかもしれない。
修行を志願して知った現実
とはいえ、いきなり独立できるほど甘くはありません。
技術もない。現場も知らない。
だから、まずは修行だと思いました。
たい焼き屋で働きながら学び、
その先で自分でやっていく。
そう考えて、いくつかのお店に応募しました。
- 老舗の一丁焼きの店。
- 行列のできる人気店。
- 全国展開している会社。
結果として採用されたのは、
一番望んでいなかった会社だけでした。
正直、老舗に入りたかった。
せめて行列店でもよかった。
なぜかというと、
自分がやりたかったのは
一丁焼き”のたい焼きだったからです。
一匹ずつ焼く。
手間も時間もかかる。
でもそこにこそ、
“自分の手で作る価値”があると思っていました。
——しかし、叶いませんでした。
面接で落ちた本当の理由
三社の面接では、正直に全部話しました。
なぜやりたいのか。
なぜたい焼きなのか。
将来は独立したいということも。
隠さず、伝えました。
でも——結果は変わりませんでした。
面接の途中で、ふと分かる瞬間がありました。
「あ、これは難しいかもしれないな」と。
会話は続いている。質問もされる。
それでも、共感されていないような感覚。
あの空気は、今でも忘れられません。
今なら、少し分かります。
ボクは“学びたい人”。
会社は“長く働いてほしい人”。
前提が、少しズレていたんだと思います。
45歳の未経験が熱意を持ってやりたいことを正直に話すほど、
「すぐ辞める人か…」「何を言ってんだ…」と思われてしまう。
そんな側面が、あったのかもしれません。
そしてもう一つ。
45歳で、3回の業種変更。
自分の中では「挑戦」でも、
相手から見れば「定着しない人」と映ることもある。
頑張ってきたことが、
評価につながるとは限らない。
むしろ、違う見え方をすることもある。
それが、40代の転職の現実なんだと感じました。
45歳の転職は「構造」で決まる
さらに言えば、ボクは45歳です。
未経験であれば、
20代や30代と同じ土俵に立つことになります。
体力や柔軟性、将来性。
同じ条件であれば、
若い人が選ばれることも多いと思います。
これは悔しいというより、
ひとつの「構造」なんだと感じました。
企業が悪いわけでもなく、
自分が劣っているわけでもない。
ただ、そういう仕組みになっているだけ。
そう理解しても、
やっぱり迷いは消えませんでした。
紹介してもらった精肉屋に行くか。
それとも、望んでいない形のたい焼き屋で働くか。
どちらを選んでも、
“本当にやりたい一丁焼き”ではない。
でも、何もしなければ前には進めない。
分かっているのに、
どうしても決めきれませんでした。
「悩む必要あります?」と言われた日
そんな中、キッチンカーのセミナーに参加しました。
20人ほどが集まっていて、
みんなそれぞれ「やりたい」という気持ちを持っていました。
正直、ボクはそこまで強い気持ちではありませんでした。
やりたいというより、
「やれるのか?」という感覚に近かったと思います。
途中で聞かれました。
「どんな業態を考えていますか?」
たい焼き屋と言いたい。
でも、落ちたばかりだし……。
少し迷いながら、正直に話しました。
- たい焼きか、肉か悩んでる。
- ソムリエの経験があること。
- ドライバーとして働いていたこと。
- 将来的には全国の競馬場を回れる素材なこと。
すると、隣にいた若い参加者が言いました。
「悩む必要あります?」
——その一言で、思考が止まりました。
「ソムリエやってたなら、
肉と掛け合わせたほうが強くないですか?」
さらに主催者の方も続けて言いました。
「ソムリエの方は初めてですね」
……正直、少し驚きました。
自分ではまだ決めきれていないのに、
周りがどんどん形にしていく。
たい焼きか。
肉か。
その時は——
まだ答えは出ていませんでした。
(つづく)
定年後でもワクワクするため、ボクは修行中です
ボクは元トラックドライバーです。
人身事故をきっかけに、
ハンドルを切ることをやめて、肉を切る道に進みました。
そこから少しずつ人生を動かしていく中で、夢ができました。
それは——
競馬好きの妻と、
“肉×ワインのキッチンカー”で全国の競馬場を回ること。
「本命はこの馬でしょ!」なんて言い合いながら、
お客さんと一緒に楽しい空間をつくりたい。
このブログは、その夢の“付け合わせ”みたいなものです。
同じように40代で悩んでいる誰かに、
少しでも届けばと思って書いています。
▼ ボクのこれまでの道のりはこちら


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