「このままでいいのか」と思っていた40代
40代になってから、ふとした瞬間に思うことがあります。「このままでいいのか」と。
仕事はある。生活もできている。それでも、心のどこかでずっと引っかかっている——そんな思いが、ずっとありました。
これは、「自分で稼げる自分」をどう作ればいいのかと悩みながら、たい焼き屋を本気で目指したあの日々の話です。あの頃、ボクはたい焼き一筋で進むつもりでした。
ボクが探していたのは「仕事」じゃなかった
この転職活動を通して、ひとつだけはっきりしたことがありました。ボクは「仕事」を探していたんじゃなかった。「給料」をもらえる場所を探していただけだったんです。
でも、本当に見つけたかったのは——給料をもらう側ではなく、”自分で稼げる自分”だったんだと思います。詳しくはchange06の記事に書きました。
「このままトラックドライバーを続けていていいのかな」——40代に入ってから、ずっとどこかにあった違和感です。安定している。居心地も悪くない。でも、このまま”運ぶだけ”で終わっていいのか。
その違和感の正体に気づいたのは、転職活動を始めてからでした。会社に入る限り、働き方も、給料も、評価も——どうしても「選ばれる側」のまま変わりません。
だったらいっそ、こう考えるようになりました。
自分で価値を作って、自分でそれを届ける側に回ってみたい。
なぜ「たい焼き屋」だったのか
いろいろ考えている中で、ふと「たい焼き屋っていいかもしれない」と思いました。派手さはありません。でも、自分の手で作って、自分の手で渡す——焼いて、売って、うまくいかなければまた焼く。すべてが、自分の責任で完結する。そのシンプルさが、すごくしっくりきました。
ボクが本当にやりたかったのは「一丁焼き」——一匹ずつ焼く、手間のかかるたい焼きです。カチッ、カチッ、と音が立つたびに、“稼ぐ力”が身についていくような感覚がありました。ああ、これが「自分で稼ぐ」ということなのかもしれない。
キッチンカーなら小さく始められる。場所も時間も、自分で決められる。いつか競馬場のざわつきの中で、焼きたてを手渡す——そんな未来まで、頭の中で膨らんでいきました。ソムリエの接客、ドライバーの体力。バラバラだと思っていた経験も、たい焼きなら活きるかもしれない——そう信じていました。
修行を志願して知った現実
とはいえ、いきなり独立できるほど甘くはありません。技術もない。現場も知らない。だから、まずは修行だと思いました。たい焼き屋で働きながら学び、その先で自分でやっていく——そう考えて、いくつかのお店に応募しました。
老舗の一丁焼きの店。行列のできる人気店。全国展開している会社。結果として採用されたのは、一番望んでいなかった会社だけでした。正直、老舗に入りたかった。せめて行列店でもよかった。
——しかし、叶いませんでした。
面接で落ちた本当の理由
三社の面接では、正直に全部話しました。なぜやりたいのか。なぜたい焼きなのか。将来は独立したいということも。隠さず、伝えました。でも——結果は変わりませんでした。
面接の途中で、ふと分かる瞬間がありました。「あ、これは難しいかもしれないな」と。会話は続いている。質問もされる。それでも、共感されていないような感覚。あの空気は、今でも忘れられません。
今なら、少し分かります。
会社は”長く働いてほしい人”。
前提が、少しズレていたんだと思います。45歳の未経験が熱意を持ってやりたいことを正直に話すほど、「すぐ辞める人か…」「何を言ってんだ…」と思われてしまう——そんな側面が、あったのかもしれません。
そしてもう一つ。45歳で、3回の業種変更。自分の中では「挑戦」でも、相手から見れば「定着しない人」と映ることもある。頑張ってきたことが、評価につながるとは限らない。むしろ、違う見え方をすることもある——それが、40代の転職の現実なんだと感じました。
- 45歳・年齢——未経験なら20代・30代と同じ土俵になる
- 業界未経験——たい焼きの現場経験ゼロ
- 独立志向——将来独立したいと正直に話した
- 転職回数——ソムリエ→トラック→(たい焼き)の履歴
今振り返ると、40代の転職でボクが痛感したのは、熱意だけでは採用されないということです。店側が求めているのは「長く働いてほしい人」。ボクは”学びたい人”として話していた——そのズレが、面接の空気に出ていたのかもしれません。
独立の夢を隠すべきだったのか、もっと「定着する意思」を前面に出すべきだったのか。今も、正解は分かりません。でも、同じ40代で転職を考えているなら、熱意と一緒に「この店で何年働きたいか」まで伝える必要がある——そう感じています。
45歳の転職は「構造」で決まる
さらに言えば、ボクは45歳です。未経験であれば、20代や30代と同じ土俵に立つことになります。体力や柔軟性、将来性。同じ条件であれば、若い人が選ばれることも多いと思います。
これは悔しいというより、ひとつの「構造」なんだと感じました。企業が悪いわけでもなく、自分が劣っているわけでもない。ただ、そういう仕組みになっているだけ。
そう理解しても、やっぱり迷いは消えませんでした。望んでいない形のたい焼き屋で働くか。それとも、転職活動の途中で知り合ったまったく別の仕事の話を受けるか——どちらを選んでも、”本当にやりたい一丁焼き”ではない。でも、何もしなければ前には進めない。分かっているのに、どうしても決めきれませんでした。
「悩む必要あります?」と言われた日
そんな中、キッチンカーのセミナーに参加しました。20人ほどが集まっていて、みんなそれぞれ「やりたい」という気持ちを持っていました。
正直、ボクはそこまで強い気持ちではありませんでした。やりたいというより、「やれるのか?」という感覚に近かったと思います。
途中で聞かれました。「どんな業態を考えていますか?」——ボクは、たい焼き屋と言いたかった。落ちたばかりだし、恥ずかしかった。でも少し迷いながら、正直に話しました。
- たい焼きか、別の道か悩んでる
- ソムリエの経験があること
- ドライバーとして働いていたこと
- 将来的には全国の競馬場を回れる素材なこと
すると、隣にいた若い参加者が、さらっと言いました。
「悩む必要あります?」
——その一言で、ボクの頭を殴られたような感覚がありました。会場のざわつきが、一瞬遠く聞こえる。たい焼き一筋で進もうとしていたのに、言葉が喉の奥で止まる。
「ソムリエやってたなら、肉と掛け合わせたほうが強くないですか?」
さらに主催者の方も続けて言いました。「ソムリエの方は初めてですね」——周りの視線が、少しボクに集まった気がしました。自分ではまだ決めきれていないのに、周りがどんどん形を決めていく。悔しい。でも、頭の中の地図が、書き換わり始めていた——そんな感覚でした。
たい焼きか。別の道か。その時は——まだ答えは出ていませんでした。
今日の学び
たい焼き屋の面接で落ちたとき、ボクは「またダメだった」と落ち込みました。本当にやりたかった一丁焼きは、自分には選ばれなかった。
あのセミナーのあと、ボクは知人から声をかけてもらっていた精肉店の話を、初めて真剣に見るようになりました。ソムリエ、トラック、たい焼き——バラバラに見えた経験が、「肉×ワイン×競馬場」という形で、あとからつながり始めた。たい焼きの夢は叶わなかった。でも、落ちたからこそ、別の道を見ようと思えた。
遠回りに見えた道のりが、あとから一本の線になる——45歳の転職で、ボクがいちばん実感していることです。
この記事で伝えたいこと
転職活動で「給料」を探していたボクが、本当は「自分で稼げる自分」を探していた——それに気づくまで、時間がかかりました。
面接で落ちるたびに、年齢や経歴を理由に自分を責めかけました。でも、全部が無駄だったわけじゃないと、今は思っています。
40代で転職を考えているなら、ボクと同じように「選ばれない」経験をするかもしれません。それでも、遠回りは、あとから意味を持つことがある——そう信じています。
- 探していたのは仕事ではなく、自分で稼げる自分だった
- 40代の転職は熱意だけでは通らない——定着する意思の伝え方も考える
- 面接で落ちても、バラバラの経験はあとからつながる
- 45歳の転職は「構造」の問題もある——それでも止まらなければ前に進める
- 45歳・元トラックドライバーから精肉店へ未経験転職
- 元ワインソムリエ10年→ トラック8年→ たい焼き修行志願(不採用)→ 精肉店
- 人身事故をきっかけに転職活動を開始
- 夢は肉×ワインのキッチンカーで全国の競馬場を回ること
まとめ|遠回りが、線になっていく
ボクは元トラックドライバーです。人身事故をきっかけに、ハンドルを切ることをやめて、肉を切る道に進みました。たい焼き屋の夢は叶わなかった。でも、その遠回りの中で、夢ができました。
競馬好きの妻と、“肉×ワインのキッチンカー”で全国の競馬場を回ること。「本命はこの馬でしょ!」なんて言い合いながら、お客さんと一緒に楽しい空間をつくりたい——このブログは、その夢の”付け合わせ”みたいなものです。
競馬場でキッチンカーを走らせる日が来たら、「ブログ読んでました」と声をかけてもらえたらうれしいです。ボクは明日も、一歩ずつ挑戦を続けます。
失敗も悔しさも、そのまま記録しています。
キッチンカーで競馬場を巡る夢に向かって。
※この記事は筆者自身の実体験をもとに書いています。転職・キャリアに関する内容は個人の経験に基づくものであり、すべての方に当てはまるものではありません。


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