骨折して6日目、松葉杖のまま画面越しに見ていた宝塚記念。
本命のレガレイラは届かなかった。
けれど、負けた理由の中には、当日ちゃんと思っていたことが残っていた。サイン読みも、希望的観測も、レース直前の直感も——全部ひっくるめて、これがボクの「外れた宝塚記念」だ。
振り返ってみると、ボクはこんなふうに感じていました。
- 予想の前提は、天気ひとつで簡単に崩れる
- 展開を読めても、「勝つ馬券」とは限らない
- 外れても、また次を考えてしまう——それが競馬の厄介なところ
予想の前編はこちら。骨折6日目でも宝塚記念を買う理由|レガレイラ本命予想
動けない日曜でも、馬は走る
45歳で精肉店に転職して3ヶ月。雨のミニベロ通勤で膝を骨折して、家からほとんど出られない日々を送っています。
動けないと、1日がやけに長くなる。普段はあっという間に過ぎる日曜が、びっくりするくらい重い。そんな経験、動けなくなるまで分からないことがあります。
それでも今日だけは、ちゃんと楽しみたいレースがありました。宝塚記念です。
競馬場には行けない。パドックの空気も、直線の歓声も味わえない。それでも、画面越しにレースを待つ気持ちだけは、ちゃんと競馬場に向かっていく。
ボクはいつか、妻とキッチンカーで全国の競馬場を回る夢を持っています。だから競馬は、ただのギャンブルではなく、これからの人生の一部なんです。
レース前の感情と、読み違えた天気
正直に言うと、宝塚記念は良馬場で行われると思っていた。
だからこそ、予想の前提もそこに寄っていた。
レガレイラを本命にした理由は、前日の予想記事でも書いたが、改めて整理するとこうだ。
- 牝馬であることによる2kgの斤量減がプラスになるのではないか
- レープロの表紙がマリアライト → 「牝馬が勝つサインでは?」というサイン読み
- 先週の安田記念で武豊騎手が勝利 → 「2週連続はないだろう」という逆算
- 最後はルメール騎手なら差し切るのでは、という希望的観測
理屈とサインと願望。その全部が少しずつ混ざっていた。
この段階では、本命・対抗・穴馬で組んだ3連複から入っていた。良馬場想定の、いちばん素直な買い方だ。

ただ、レース直前に状況は変わった。
雨が一気に強くなり、馬場は重くなっていった。
ここで予想の前提が崩れたのを感じた。「さっきまでの読み、もう当てはまらない」——その感覚、競馬でも転職でも似ている気がする。
重馬場になりそうだと分かったあと、16番メイショウタバルと穴馬のワイドを追加した。展開の読みは合っていた。でも、券種はもう少し欲張り始めていた。

重馬場で変わったレースの構図
雨の影響で、展開の見え方も変わっていった。
もともと想定していたのは「ある程度流れて、差しも届く競馬」だった。
しかし重馬場になると、話は違う。
差し馬は一気に厳しくなる。ある程度いい位置で運べなければ届かない。
そこで浮かんだのがコスモキュランダだった。
前で競馬ができるタイプで、有馬記念の伏兵のように「こういう馬が残るのではないか」と思った。
メイショウタバルが作るレースになると感じた瞬間
そして最後に、結論のように思った。
「このレースはメイショウタバルの形になる」
番手で運びながら、極端に緩まない流れを作る。
そうなれば後ろの馬は苦しくなるし、差し切るには条件が揃わない。
気づいたときには、もう展開の主導権は前にあると感じていた。
どこかで「それでもレガレイラなら届く」と思っていたのかもしれない。
ただ、レース前の直感としてははっきりしていた。
これはもう、メイショウタバルのレースになる。
そう思った時点で、どこかではもう結果も見えていたのかもしれない。
それでも、その予感を無視して馬券を買っていた。
欲にまみれた馬券と、納得の敗北
けど結局、馬券は欲にまみれて外れた。
最後には、勝ち馬・元々の本命・穴馬を組んだ欲張り3連単まで手が伸びていた。展開は読めたのに、買い方だけがどんどんエスカレートしていった。

狙っていたのは、あくまで「どこかで荒れる展開」。でも結果は、1番人気・2番人気・3番人気の順当決着。
正直なところ、こうなると仕方がない。
競馬は、展開を読めたとしても「勝つ馬券」を当てられるとは限らない。
ボクみたいに100円の豆馬券で20倍を狙う穴党にとっては、こういう決着は一番遠い。それでも続けるのは、競馬がボクの人生の一部だからだ。
悔しさはある。でも同時に、「そりゃそうか」とも思ってしまう。
競馬は、夢を見た分だけ外れるし、現実を見た人が残る。
まとめ|外れても、当日のリアルは残る
宝塚記念は外れた。本命レガレイラは届かなかった。
それでも、良馬場想定が雨で崩れたこと。重馬場で差しが厳しくなること。「これはタバルのレースになる」と感じたこと——そのリアルは、ちゃんと残っている。
ただの外れ記事ではなく、負けの理由を読んでいる記事にできたら、それで十分だと思う。
外れたのに、また次のレースを考えてしまう。
それが競馬で、一番厄介で、一番やめられないところだ。
そしてたぶん、次もまた同じように外れるし、同じように悩む。
なぜ、それでも競馬をするのか。60歳までに妻とキッチンカーで全国の競馬場を回る——その夢があるから、今日も画面越しにレースを見ていた。
40代で転職を迷っている誰かが、この記事を読んで「自分だけじゃないんだ」と少しでも感じてくれたら、ボクにとってはそれだけでうれしいです。
いつか競馬場で、同じように外れた馬券を笑いながら話せる日が来る気がする。
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