- 45歳・未経験で精肉店へ転職した。ソムリエ10年も、ドライバー8年も、捨てていなかった
- 人が嫌いだったのではなく、距離が近すぎることに疲れていた
- 離れることは、捨てることじゃない
45歳で、精肉店に転職した。
ソムリエを10年やって、ドライバーを8年やって、今は肉屋にいる。
人と距離を取ってきた人間が、また人の中で働くことを選んだ。
未経験。不利だと思っていた。でも半年経った今、ひっくるめて晴れやかに過ごせている。
話は、いちばん最初から書きます。
父の紹介で、ソムリエになった
25歳の時、父の紹介でソムリエの世界に入った。
そこから10年、ワインを扱う仕事を続けた。
入口には、確かに父がいた。だからこそ、あとで起きたことは、余計に深く刺さったんだと思う。
10年やって、人と交わることが嫌になった
原因は、人間関係だった。
怒鳴られるのが当たり前の現場。誰かの顔色をうかがう毎日。家族の中でも、職場でも、同じように自分を削っていた。
気づいたときには、人と交わることが嫌になっていた。
……これだけだと「人嫌いになった話」に見える。でも、違う。
ボクが苦しかったのは、人が嫌いだったからじゃない。人との距離が近すぎることだったんだと思う。
仕事をやめようと決めた。
「俺の顔に泥を塗りやがって」
飲食の仕事をやめることを、父に伝えた。
返ってきたのは、この言葉だった。
はぁ〜怒られるよ…俺の顔に泥塗りやがって…もう2度と俺の前に顔を見せるな
当時のシェフと、父の先輩が知り合いだった。
たぶん父にとっては、自分の立場の話だったんだと思う。自分の顔を立てるための問題だったんだと思う。
でも、ボクには違った。
自分の人生を、どう生きるかの問題だった。
今でも、悲しい気持ちは残っている。
母に言われた「離婚するから金くれ」
父に仕事を辞めることを伝えた頃、母との関係でも、気持ちがすれ違う出来事があった。
離婚するから金くれ
そう言われて、大金を渡した。でも、結局離婚はしなかった。
「家族だから」という気持ちがあったから渡した。だからこそ、身内に騙されたような感覚が、ずっと残っている。
その感覚は、消えないまま残った。家族との距離は、そこから少しずつ開いていった。
家業を継げば、家族は平和になるかもしれないと考えた
父の家業を継げば、家族は平和になるんじゃないか。
本気で、そう考えた時期がある。
でも、飲食系の人と仕事をしたくないという思いが消えなかった。周りの目線が気になって、行き詰まっていった。
家族のために自分を合わせていけば、いつか何かが変わると思っていた。
でも、自分の人生は、そこには戻ってこなかった。
家族からも、離れていった。
ドライバー8年。人との距離が、ちょうどよかった
だから、そのあとに選んだのが、ドライバーという仕事だった。
一人になりたくて選んだ仕事だった。でも、やってみたら、人と接しない仕事じゃなかった。
なんだかんだドライバーって人との接点多いから寂しいと思わない。ただ、密になりにくい関係性にでもできるから楽だったよ
必要な会話はある。でも、密にはならない。自分の時間がある。
当時のボクには、それがちょうどよかった。
人が嫌いになったわけじゃない。人との距離が近すぎることに、疲れていただけだった。
両親が家に来た日、ボクは出なかった
ドライバーをしていた時期に、両親が揃って今の家に来た。2回来た。
ボクは、両日とも出なかった。
あとになって、「父が死にそうだ」という連絡が来た。
それでも、会わなかった。
それについて、今も後悔はない。
親の目を気にしながら生きるのが、もう嫌だった。それだけです。
一度は断った、肉屋からの誘い
45歳。
そんなボクに、肉屋の世界へ声をかけてくれた先輩がいた。ドライバーをしていた時代に、出会った人だった。
最初は断った。接客は疲れるから嫌だと思ったから。あの頃は、まだ人と接することそのものに蓋をしていた。
年を越して、一度、自分のキャリアを全部フラットに置いて考えてみた。
何もない。そう思っていた。
でも、整理してみたら、出てきた。
ソムリエの武器がデカいな
10年、ワインと向き合ってきた時間は、消えていなかった。
そこで、もう一つ思ったことがある。
いつまでも給料をもらう価値に頼るより、給料を稼ぐ自分を身につけたい。
肉屋なら、肉を自分の手で扱える。ソムリエの10年もある。肉とワインを、自分の商売にできるかもしれない。
だから肉屋を「転職先」ではなく、修行の場として見た。
肉屋で修行すれば、ボクにも稼ぐ手が育つ。そう思えた。
入社2日で言われた「接客は最短記録だね」
入社2日目の夕方だった。
想像していたよりもお客さんが続いて、店内には列ができていた。
入って2日の人間なら、普通は焦る。10年前のボクなら、確実に焦っていた。
でも、その日は慌てなかった。
包んで、渡して、お金を受け取って、次に並んでいる人へ。できないものは「これは出来ません」と言う。
その流れを、会長と社長が見ていた。
レジに立っているボクを、後ろから見ていた会長が言った。
接客は最短記録だね
「え? 俺が?」と思った。
接客が嫌で、一度は肉屋の誘いを断った人間なのに。
まさか入って2日で、そこを褒められるとは思わなかった。
そのとき初めて、「ああ、俺の10年って、ちゃんと残ってたんだな」と思った。
これは、接客経験10年の力だけじゃない。40代になって身についた図太さも、ちゃんと武器になっていた。
若い頃なら、「失敗したらどうしよう」「早くしなきゃ」で手が止まっていたと思う。
でも45歳の今は、切り分けられる。できないものは、できない。
40代の転職って、不利なことばかりだと思っていた。
でも、自分が45歳になってみて、ひとつ分かった。
40代には、40代になったからこそ使える武器もある。
経験と、図太さ。
2日目の仕事の流れは、精肉店2日目の記録にも残しています。
転職して半年。今、晴れやかに過ごせている
転職して半年が経った。
今は夢がある。周りの環境にも恵まれている。そして何より、暖かい職場にたどり着けたと実感している。
以前は、人との距離が近すぎることに疲れていた。今は、できないものは「これは出来ません」と言える。それだけで、心の置き方が違う。
小さなストレスはある。どこに行ったってある。でも、ひっくるめて晴れやかに過ごせている。
今の妻と、競馬場のキッチンカー
そしてボクの夢は、そんなに大それたものじゃない。
今の妻と一緒に、競馬場でキッチンカーを楽しむこと。
競馬を楽しみに来た人たちが、ふらっと立ち寄って、「これおいしいね」「次のレースどう思う?」そんな会話が自然に生まれる場所。そこに、肉料理と、2000円くらいのワインがある。
人ひとりの可能性なんて、小さなものかもしれない。でも、今からでも新しく育てられると思っている。
あの頃の自分に、一言だけ言えるなら
人間関係に疲れて、殻にこもっていた自分に、今のボクが一言だけ言えるとしたら。
逃げればいいよ。地球って回ってるから。その中に自分がいるだけ。
留まらなければ、大抵のことは止められない。その時が来たら、留まらなければいい。
動こうとした時、自分で止めなければ、進めるよ。
「頑張れ」でも、「逃げるな」でもない。
逃げてもいい。止まってもいい。でも、人生そのものは止まらない。そして、いずれ動かなきゃいけない時が来る。そのときに、動こうとした自分を自分で止めなければ、進める。
離れることは、捨てることじゃない
たまに友人たちと馬鹿騒ぎしたり、近況報告し合ったりする。
人との縁って、不思議だ。
そのときは何でもないと思っていた人とのつながりが、何年もあとになって、自分の人生を動かすことがある。
でも、そういう縁をうまく使うのは、ボクには不器用だ。それは自分でもわかっている。
そして、それ以上に父の存在が大きい。だから、後戻りはしたくない。
でも、忘れてはいけないことがある。
人から離れた。でも、人との縁が、完全に切れたわけじゃなかった。
一人になりたくて選んだドライバー8年。その時代に出会った先輩が、あとになって、肉屋への道をつないでくれた。
これ、出来すぎなくらい、今の人生につながっている。あの8年がなかったら、今のボクはない。
ソムリエの10年も、消えていなかった。入社2日で、ちゃんと残っていた。
離れることは、捨てることじゃない。
人から離れてもいい。仕事から離れてもいい。環境から離れてもいい。
でも、そこで受け取ったものまで捨てなくていい。それを持ったまま、次の場所へ行けばいい。
45歳でも、新しい自分は育てられる。
ボクはまだ道の途中だ。
いつか妻とキッチンカーで競馬場を回る。
その日が来るかどうかは、まだ分からない。
でも、45歳の今は、その夢を「夢」と言える。
それだけでも、昔のボクからしたら大きな変化だ。
逃げたっていい。地球は回ってる。
ボクは今、その地球の上で、また歩き始めている。
※本記事は筆者自身の実体験をもとに書いています。家族や職場についての記述も、筆者の記憶と視点に基づくものであり、すべての方に当てはまるものではありません。


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