- 45歳・未経験で精肉店へ転職したボクが、ソムリエ10年・ドライバー8年を振り返った話
- 3つの仕事はバラバラに見えたが、全部つながっていた
- 45歳になって、過去の仕事の意味が変わった理由
45歳・精肉店半年。全部つながっていた
45歳で精肉店に入って、半年。ようやく、過去の仕事が全部つながって見えてきた。
ソムリエ10年。ドライバー8年。そして精肉店。
最初は、全部バラバラの仕事だと思っていた。
でも今になってみると——全部つながっていた。
転職の条件表を並べたくなったこともある。でも、ボクが本当に知りたかったのは、今の仕事に、過去の自分は生きているのか、ということだった。
勤務時間や給料の比較記事ではない。3つの仕事をやってきて、今の精肉店で感じていることを、そのまま書く。45歳・未経験で精肉店へ転職した話の、そのあと半年の振り返りでもある。
ソムリエは優雅な仕事だと思っていた
25歳のとき、父の紹介でソムリエの世界に入った。そこから10年、ワインを扱う仕事を続けた。
入口には、確かに「優雅な仕事」というイメージがあった。
実際は、裏では優雅さのかけらもなかった。
シェフからソースの合図。「ギャルソン!」と呼ばれる。マダムからパン。先輩からガス入り。スーシェフからオードブル。客から注文。洗い物。
それを全部、同時に処理する。優雅に見える仕事ほど、裏では戦争だった。
怒鳴られるのが当たり前の現場。誰かの顔色をうかがう毎日。気づいたときには、人と交わることが嫌になっていた。
……これだけだと「人嫌いになった話」に見える。でも、ボクが苦しかったのは、人が嫌いだったからじゃない。人との距離が近すぎることだった。
飲食の仕事をやめることを決めた。父には「俺の顔に泥を塗りやがって」と言われた。今でも、悲しい気持ちは残っている。
父から始まった仕事を、ボクは離れた。食の世界そのものを嫌になったわけじゃない。嫌だったのは、人との距離の近さだった。
ドライバーになれば、人から離れられると思った
父の世界から離れ、人からも離れた。選んだのがドライバーという仕事だった。
一人になりたくて選んだ。でも、やってみたら、人と接しない仕事じゃなかった。
なんだかんだドライバーって人との接点多いから寂しいと思わない。ただ、密になりにくい関係性にでもできるから楽だったよ
必要な会話はある。でも、密にはならない。自分の時間がある。当時のボクには、それがちょうどよかった。
配送は、一人で判断する。時間配分も、自分で組み立てる。運転技術も、毎日の仕事で磨いていった。
係長として働いていた頃、会社の空気も重かった。平均年齢も高く、守りに入った社風には、目標も熱量も、ボクには見えなかった。
転職のきっかけになった出来事については、別の記事に詳しく書いている。
「フレンチブルドッグを飼いたい」「妻と競馬旅行に行きたい」——そんなささやかな願いすら、仕事への無気力に飲み込まれていった。心が空っぽになると、判断力まで奪われる。そう感じた。
「自由」と「やりたいことができる」は違った
一見すると、ドライバー=自由に見える。
時間配分も自由。一人でいられる。自分でルートを考える。当時のボクは、そう思っていた。
でも、荷主の側には、こういう言葉があった。
やればいいんだよ
無理な配送。変な配車。やればいい、と言われて、やる。自由に見えて、自由だけど、やらされている——そんな感覚があった。
目標のないものは、ただ不満になる。ボクは、目標を失っていた。
ある日、納品先へ左折した瞬間、視界から消えていた自転車を巻き込んだ。歩道を走っていた82歳のご年配の方だった。人身事故をしてしまった。
あの瞬間の音、空気、時間の止まり方。今でも忘れられない。詳しくはこちらに書いた。
事故のあと、ボクは本気で考えるようになった。60歳になったら、どうなるんだろう。老化。判断力。体力。やらされている環境。このまま、定年まで走り続けるのか。
転職活動を進めるなかで、こうも思った。「このまま、ただ給料をもらうことだけを基準に働いて、60歳になったとき、ボクの手元には何が残るんだろう」
ドライバー時代のボクは、未来が不安だった。
45歳、精肉店に入った
45歳。人との距離が近すぎて逃げてきたボクが、もう一度人の中に戻る——そう見ることもできる。
ドライバーをしていた時代に出会った先輩から、肉屋の世界へ声がかかった。最初は断った。接客は疲れるから嫌だと思ったから。
年を越して、自分のキャリアを全部フラットに置いて考えてみた。何もない、そう思っていた。でも、整理してみたら、出てきた。
ソムリエの武器がデカいな
転職活動では、たい焼き屋にも本気で行った。3店舗面接して、1店だけ受かった。でも、ボクがやりたい形ではなかった。精肉店の提示は、ドライバー時代より年収で100万円近く下がる内容だった。転職活動のあいだ、ボクが何を考えていたかは45歳・未経験で精肉店へ転職した話に残している。
それでも、ボクは精肉店を選んだ。たい焼き屋に行っていた可能性もあった。別の職場だった可能性もあった。でも、「精肉店にしよう」と決断したのは、ボク自身だった。
入社してから、社長と会長の働き方を見て、正直びっくりした。
社長、会長ってこんなに働くの?
年齢を重ねた人たちが、現場で汗をかいている。背中を追える環境——そう感じた。詳しい初日の記録は精肉店の初日に残している。
正直、ボクは運が良かっただけ、とも思っている。タイミングもあった。事故もあった。人との出会いもあった。でも、その中で精肉店を選んだのは、ボクだった。
ソムリエ10年も、ドライバー8年も無駄じゃなかった
精肉店に入ってから、過去の仕事が少しずつ重なって見えてきた。
ソムリエ時代に身につけたのは、接客。会話。複数の状況を瞬時に判断する力。優先順位をつける力。人前で動く力。
ドライバー時代に身につけたのは、一人で判断する力。時間配分。運転技術。人との距離。「このままでいいのか」と自分の未来を見る感覚。
45歳の精肉店では、それに加えて、肉の技術。肉の知識。商売。40代になって身についた図太さ。
配送は、ドライバー時代の運転がそのまま活きている。通勤は片道7kmのミニベロ。雨の日に転んで膝を骨折したこともある。売場では、ソムリエ時代の接客が戻ってくる。現場では「3つ先まで考える」と言われる。シェフの合図、客の注文、洗い物——全部同時に処理していたあの頃と、似ている。
10年間のソムリエ経験が、45歳の精肉店でちゃんと生きている。8年間のドライバーも、消えていなかった。
45歳だからできる接客がある
入社2日目の夕方。想像していたよりもお客さんが続いて、店内には列ができていた。
入って2日の人間なら、普通は焦る。10年前のボクなら、確実に焦っていた。
でも、その日は慌てなかった。
できないものは、できない。客の注文を一度止める。メモにする。自分が対応できる形に変える。「これは出来ません」と言う。
包んで、渡して、お金を受け取って、次に並んでいる人へ。その流れを、会長と社長が見ていた。
接客は最短記録だね
接客が嫌で、一度は肉屋の誘いを断った人間なのに。まさか入って2日で、そこを褒められるとは思わなかった。
若い頃なら、「失敗したらどうしよう」「早くしなきゃ」で手が止まっていたと思う。45歳の今は、切り分けられる。40代の転職って不利なことばかりだと思っていた。でも、40代になったからこそ使える武器もある。
精肉店2日目の記録にも残しているが、精肉店のお客さんは待ってくれる。レストランのように「時間」まで提供する必要がない。
精肉店も、要所要所を抑えればある程度自由だ。でも、ボクが感じている自由は、ドライバー時代とは違う。人の中にいるけど、自分で考えて動ける——今のボクには、そういう自由がある。
父の顔色をうかがっていた頃とは違う。ソムリエ時代のように、誰かの合図に振り回されるわけでもない。45歳で人の中に戻って、初めて自分のペースで向き合えている気がする。
82歳の先輩を見て、未来が見えた
精肉店に来て最初に感じたのは、職場がアットホームだから。人間関係がいいから。仕事が楽しいから——もちろん、それもある。
でも、半年経って気づいた。ボクにとって大きいのは、「転職して良かった」という気持ちより、45歳になって、過去の仕事の意味が変わったということだった。
未来が見える。
ドライバー時代のボクは、「60歳になったらどうなるんだろう」と考えていた。今は、82歳でも働いている人がいる。すげえな、と思った。
82歳のおじいちゃんに教わった働き方にも詳しく書いた。朝7時から18時まで、止まらずに現場に立つ背中を見て、ボクは救われた。
肉を切れる。肉を説明できる。肉を売れる。それを、自分の商売につなげられる——そういう感覚が、少しずつ増えてきている。
ドライバー時代は、未来が不安だった。精肉店では、未来に使えるものが増えている。過去・現在・未来が、ここでつながった。
これが、手に職ってことか——82歳の先輩を見て、そう思った。
精肉店で身につけたいのは「稼ぐ力」
転職活動のとき、ボクは給料ばかり見ていた。提示された条件は、ドライバー時代より年収で100万円近く下がる内容だった。
でも、年を越して考え直した。いつまでも給料をもらう価値に頼るより、給料を稼ぐ自分を身につけたい。
肉屋なら、肉を自分の手で扱える。ソムリエの10年もある。肉とワインを、自分の商売にできるかもしれない。
だから肉屋を「転職先」ではなく、修行の場として見た。精肉店=修行。キッチンカー=夢。今は、その二本立てになっている。
キッチンカーで失敗しても、精肉店に戻れる——そんな感覚もある。今の精肉店は、夢を諦めた場所じゃない。夢に向かう途中の場所だと思っている。
転職活動のあと、環境を変えてから初めて、本気で「これからどう生きるか」を考え始めた。ドライバー時代は、「いつか変わりたい」と言いながら、同じハンドルを握り続けていた。事故のあとも、しばらくは動けなかった。
だから今のボクは、環境を変えないまま「いつか変わりたい」と言い続けることに、違和感を覚える。キッチンカーやりたいなら、今やればいいじゃん——その矛盾も、ボク自身わかっている。でも、自分の場合は、精肉店という環境に入ってから初めて、本気で未来を描け始めた。
そして、いつかキッチンカーへ
ボクの夢は、そんなに大それたものじゃない。
今の妻と一緒に、競馬場でキッチンカーを楽しむこと。競馬を楽しみに来た人たちが、ふらっと立ち寄って、「これおいしいね」「次のレースどう思う?」——そんな会話が自然に生まれる場所。そこに、肉料理と、2000円くらいのワインがある。
なぜ競馬場なのか——ドライバー時代、ボクは「妻と競馬旅行に行きたい」とすら、心から言えなかった。目標を失っていた頃、ささやかな願いすら仕事に飲み込まれていた。
競馬場は、派手な勝負の場所というより、妻と並んで過ごせる場所でもある。レースを見ながら、ふと話す。知らない人とも、自然に声をかけ合える。ボクにとって、そういう時間が、キッチンカーの夢の土台になっている。
その絵を想像すると、3つの仕事が全部そこに並ぶ。
ソムリエ → ワイン。ドライバー → 運転・移動。精肉 → 肉・技術・商品知識。45restart → 自分のストーリーそのもの。
肉とワインのキッチンカーで、競馬場を巡る。まだ、夢の段階だ。でも45歳の今は、その夢を「夢」と言える。それだけでも、昔のボクからしたら大きな変化だ。夢の話はこちらにも書いている。
3つの仕事は、夢を運んできた
45歳で肉屋になった。父から始まった仕事を離れ、人から離れ、また人の中に戻って——今、初めて過去の仕事の意味が変わって見えている。
もっと早くやっておけばよかった、とは思わない。ソムリエを10年やったから今がある。ドライバーを8年やったから今がある。
遠回りだったのかもしれない。でも、遠回りしたからこそ、今のボクには肉とワインと運転がある。
ソムリエをやったからワインがある。ドライバーをやったから運転できる。精肉店にいるから肉を覚えている。
全部、今の夢の材料だった。
運が良かった。でも、精肉店を選んだのはボクだ。運は選べない。でも、運が来たときにどっちへ行くかは、自分で決められる——そう思っている。
3つの仕事は、夢を運んできてくれた。
ボクはまだ道の途中だ。転職のきっかけはこちら、転職してからの話はこちらにも書いている。
40代だけの話じゃないと思う。今やっている仕事が、いつか別の形で役に立つかもしれない。今までのキャリアを、全部捨てなくていいかもしれない——そう感じた人が、自分の過去を見直すきっかけになれば、それだけで十分だ。
※本記事は筆者自身の実体験をもとに書いています。転職・仕事・家族についての記述も、筆者の記憶と視点に基づくものであり、すべての方に当てはまるものではありません。


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